Brand of
United
Society
令和のブランディングは存在理由の明確化にある
Whyから考えるBUSのコアメソッド
モノよりコトへ、ブランディングをストーリー化する
マーケティングの目的は顧客の創造にあり、その先にあるブランディングである
マーケティングとは?顧客とは?関心ごと?投資項目?データトリブン分析?顧客分析?広告宣伝?ブランディング?
クリエイティブファーストではなく、これからはコンテンツファーストへ
WEB4.0までは定量的かつ効率の最大化、5.0は定性的かつより人間性の追求
定量的分析は人間の行動を慎重にさせる、定性的分析は人間をより創造的な意識にさせる
平時・連続性対応のPDCAの長期的視点ではなく、戦時・非連続性対応のOODAループで、顧客へのソリューションを見出す
イノベーションロジックとパーセプションフローを統一的に考え、初期市場開拓にフォーカスにより、キャズム(溝)を渡り、後期追従市場へと拡散させる新しい戦略
PDCA型の仮説・検証ではなく、OODA型の洞察・分析モデルで、ターゲティングコストから逆算して、目標収益をシュミレーションする戦略。定性的な洞察から定量的な数値シュミレーションまでを一気通貫で行う
意識や知覚の変化・反応した人を、ターゲットとし、定性的な洞察から定量的な数値シュミレーションまでを一気通貫で行うための総合的なコミュニケーションのデザイニング
平成の行き過ぎた成果主義と効率論ありきの考えがマーケティングの語彙をいつの間にか、売るための手法と分析に変えてしまった。
本来のマーケティングの目的は顧客の創造である。
日本の伝統的な商習慣として、既得権益に縛られた商流や代理店制度、問屋制度や流通制度から、顧客とは目の前の取引先のことを言う場合が多い。令和以降の顧客の語彙はすべからく、最終購買者である生活者のことのみである。
技術立国日本は、自社の技術開発と製品開発にこだわるあまり、顧客へのソリューションから生まれるイノベーションが生まれにくい傾向にある。イノベーションは顧客に関心を持つ、技術者以外の発想から生まれるケースが多いのはこのためである。
競合他社との競争に勝つため、日本の企業は製品開発に莫大な投資を行う。海外は日本に負けない大きな投資を行うが、それは、製品開発だけではなく、顧客開発に対してである。他社に負けない顧客分析を行い、投資に対するリスクを軽減する。
WEBマーケティングにおけるデータドリブン分析では顧客の行動情報を定量的に的確に把握することができる。しかし、顧客の知覚変容も含めた情報を把握するためには、定量的な指標に「定性的」要素を加わると、その事項、事象に対する内面的、性質的、抽象的なものに着目し把握することが可能となる。
「カスタマージャーニー」は、顧客の行動を分析するためのものである。一方、「パーセプション・フロー」は、行動より前の“認識・知覚の変容”を軸としたWEBマーケティングであり、本当の意味での「マーケティングの可視化」を可能にする。
平成以前は、マスメディアと店頭による「商品名連呼」の焼き畑農業的手法が主流であった。しかし、令和以降は、情報や嗜好の多様化したため、顧客は自分事化されたメッセージに反応する。Webデータドリブンによって、どのパーセプションに対して、どのコンテンツが効果的であるかの学習が可能となる
平成以前のブランディングはいかに消費者に認知を与え、覚えてもらうまで刷り込むかが重要であった。一方、令和以降のWEBデータドリブンは、AIに進化すればするほど、ブランディングには、人間にとって本質的なことの発掘=存在理由の明確化が必要となる。これがWEBブランディング5.0である。
社名株式会社BUS(かぶしきかいしゃ ばす)
代表取締役出口 剛(でぐち たけし)
住所東京都中央区日本橋本町1-10-2 近甚ビル4階
設立2014年10月28日
資本金1,910万円(2017年9月30日現在)
取引銀行みずほ銀行 日本橋支店
三菱UFJ銀行 日本橋中央支店
第一勧業信用組合 東銀座支店
東京シティ信用金庫 本店
興産信用金庫 人形町支店
事業内容WEBブランディングにおける定性的DXコンサルティング事業
商品・サービス・企業のブランディングの
コンサルティング事業
取締役代表取締役
ブランディングストリーテラーCEO
出口 剛(早稲田大学卒)
専務取締役 梶田 正樹(慶応大学卒)
社外取締役 蛭沼 豊(駒沢大学卒)
早稲田大学社会科学部を卒業後、1991年に広告代理店に入社。
当時急成長中の流通企業を新規で獲得し、広告宣伝(TVCM・新聞)・WEB・企業CI等を総合的に担当し、TVCMが話題のCM等にも何度か選ばれる等の成果を上げる。その後も流通やメーカーのブランドおよび商品開発等を多数行い 2014年に東京都中央区日本橋にて株式会社BUSを創業。ブランディングストーリーテラーを日本で唯一自称し、マスマーケティングでの経験をより進化させ、令和時代に通用するネオ・マスマーケティングとしてWEBブランディング5.0を提唱し、あたらしいブランディングに取り組んでいる。
大学卒業後、イベント・プロモーション会社を経て31歳で映像制作会社へ参加。以降、TVCM、企業PVをはじめ、イベント映像、ブランディングムービー、WEBムービー、バイラルプロモーションなど、多岐にわたる映像作品を企画・制作。これまでに手がけた映像の延本数は1,000本を超える。同時にイベント、展示会の企画・運営などの実績も多数。企業活動における、あらゆるコンテンツの可能性を探求すべく、これまでの経験を集約し、また、WEBやSNS等のコンテンツにも積極的に展開し、統合的で横断型コンテンツの可能性を追求している。
1983年渡米、ニューヨークで会社を経営しつつ、並行して、米国日清食品現地法人で全米物流を担当。同LA本社でMIS部署を立ち上げ、米国オンライン化の基礎を築く。帰国後の1997年に広告代理店に入社し、国際部兼WEBマーケとして、多くの実績を上げる。レスポンス至上主義に疑問を感じていた頃に、英国人工知能マーケティングソリューション・クリムタンに出会い、定性的な洞察が可能なデータドリブンマーケティングをローカライズするために独立し、シニアパートナーとなる。BUSでは、CDO兼DXコンサルタントとして、定性的DXの普及に勤しんでいる。
IT企業でのシステムエンジニア等を経て独立。業務システム開発、Webサービス開発、スマホアプリ開発プロジェクトにおいてエンジニア業務、ディレクター業務を経験。その後、アクセンチュアに入社し、ITコンサルタントとして、数々の開発プロジェクトに参画。2017年12月にアクセンチュアを退職し、IT業界のフリーランスを活用した一般社団法人ドットテックを2018年2月に設立しIT業界フリーランスの地位向上と適正な発展に貢献。2020年よりBUSに参加し、BUSでは、システム案件を担当し、テクニカルディレクターとして従事している。
1993年 多摩美術大学在学中から各所で展覧会を開催。大学院在学中、銀座で個展をするなど美術作家としてスタート。卒業後も店舗内装の壁画制作などしながら現代作家としても活動。1995年美術雑誌アトリエの編集部に入社し、現代アートや美大進学技法書の編集やデザインを担当。2000年より独立し、雑誌、書籍の編集やアートディレクション、デザイン、医療系書籍のDTPを長く担当。現在も、音響エレクトロ系音楽への興味が強く、アート、癒し、エレクトロなどを融合するようなコンテンツを探究している。